チャレンジCHALLENGE
再チャレンジ 日本縦断7,000kmの旅

今、この俺に何ができるか。
早いもので日本縦断 ヒッチハイクから20年が経った。
青春真っ盛り20才のいい思い出だ。ふと考えてみるといろんな意味でこの 経験は私の人生にとってとてもプラスになっている。
人聞は人と人のふれあいによって、 思いやり、やさしさを学び、苦しみや悲しみのあとに幸せが来ることを知る。
世の中はめまぐるしく変化し、人と人がふれあうことが少なくな った。こういう中、最近の事件、事故には心が痛むばかりである。
今の日本は本当におかしくなったのか、20年前と比べてどうなっているのか。私はこの夏、自分の目と肌で感じるため日本縦断の旅に出ようと思った。
40才の年齢ではヒッチハイクも厳しいとは思うが、とにかくチャレンジだ。時は変われど人のやさしさ、思いやりは変わらないことを この旅で確かめてみたい。
準 備 物 | |
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カバン | 大 ・小 |
衣類 | 下着 ・Tシャツ・ズボン・ 靴下・タオル・帽子 |
洗面具 | |
履物 | 靴・ぞうり |
寝具 | タオルケット |
雨具 | ポンチョ |
カメラ | カメラ・三脚・電源(予備バッテリー) |
モバイル | 携帯電話・電源(太陽電池充電用)・ミニパソコン一式 |
地図 | |
スケッチブック | |
ノート | |
筆記用具 | マジック(3色)等 |
懐中電灯 | ヘッドランプ |
アルバム | 前回のコピー |
その他 | ごみ袋・洗温石鹸・蚊取線香・薬・トイレットペーパー・ツールナイフ・お土産・保険証の写・楽器(ハーモニカ、ケーナ) |

準備物一式
宮崎県高鍋町→北九州市


見送りに来てくれた家族
今回
- ペット好きなおじさん
- 将来有望な4人組

20年前
- パチンコの好きなおじさん
- フェリー乗り場の従業員
- 学校の先生
- 自衛隊の兄さん
- トラックの運ちゃん
- 0戦戦闘機に乗っていたという人
- 怖そうなおじさん
- ちょっと若いお兄さん
- やさしくて親切な人

20年前と同じ場所。ここからスタートです。


7月20日(金) 初日
いよいよ日本縦断の旅です。沖縄から宮崎行きの飛行機に夕方5時に乗 り込み宮崎に6時叩分についた。私は学生時代、体育系では空手部であったが文化系では地域のサークル、親子劇場というのに入っていた。親子劇場というのは親と子で会費を出し合い、劇や音楽など、生の舞台に触れることと、自主活動としてキャンプや昔の遊び等を行っていた。特にキャンプは、親は参加せずに青年と子どもだけであるが、他人の子を預かり、キャンプを行うのはとてもたいへんである。食器作りも全て自ら作るサバイバルなキャンプで、とても楽しい思い出である。
そういう懐かしい友人たちとの飲み会であったが初年前にタイムスリップしとても楽しかった。その日は当時の友人、チコちゃんのところで泊めてもらう。

7月21日(土) 2日目
大学時代を過ごした高鍋へ行く。
大学時代の友人、坂田仁さんの所に行く。東京出身の彼は結婚し高鍋に居をかまえていた。なつかしい昔話に時を忘れる。その後、絵本の里や大学に行く。
大学時代、汗と血を流した武道場を見ると老朽化し、床はぬけ、ガラスは割れたままであった。淋しくも感じたが、時の流れを感じた。びっくりしたのは初年前の名札が残っていた事である。自分の名前が、その道場にある事は、とても感動である。友人いわく、
「この名札が儀武を呼んだんだなあ」と…その日の夕方、学生時代お世話になった則松さんと仁さん家族で野外レストランにて食事。
その日は仁くんのところで泊めてもらう。

7月22日(日) 3日目
昨日は大学の友人坂田さんと大学時代の話が盛り上がり朝4時加分まで語りあった。
少々寝不足気味だが、午前10時出発する。幸先良く、15分くらい歩いたところで、一台目の車、別府まで乗せてもらう約5時間の旅、その問介護の問題などについて話す。2台目は福岡の若者4人ぐみ、途中、職場の新里朝治より宜野座高校野球優勝の連絡あり、「ヤッター」と声をあげる。すると若者4人ぐみは、ビールを買い込み祝賀会、彼らのおごりで、とても盛り上がった。今日はほんと最高の日である。その後小倉駅まで、送ってもらった。
その後、夜行列車にのり、岡山駅まで行く。

入濱真由美さん、山田智子さん、高野信仁さん、下田亨さん

ペットに水を与える渡辺さん
北九州市→大阪

今回
- 夜行列車
- さすらいのヒッチハイカー

20年前
- パトロール中の人
- 無口な人
- アベックの人
- 国鉄の人
- 地理に詳しいおじさん
- 親切なおじさん
- 岡山の学生さん

大内さん次男の康勢君が見送ってくれた


7月23日(日) 4日目
岡山に午前3時に着いた。その後駅をぶらぶらし、朝5時に日本3大名園に後楽園に向かう。知らない土地を歩いていくが、30分で後楽園についた。しかし、朝7時30分オープン。時間があるのでそれまでの間、バス停のベンチにて睡眠、2時間くらい寝ると後楽園に向かった。最高の庭園である。沖縄にもこういうゆとりのある心落ち着く庭園が欲しいと思った。その後、大学の先輩である大内さん宅へ。すると農業大学生へ農業の指導を中であった。ラン栽培をしている大内さんであるが、いろいろ工夫がなされていた。温度管理、水温管理すべてその情報が携帯電話に繋がるようになっていた。大内さんいわく、農業は補助事業ではだめ。命を掛けた戦いをしないと農業では成功しないし、どれだけ必死にできるかが、重要だと言っていた。その後、瀬戸大橋などを見学し、夕方、大内さん家族と夕食。奥さんの洋子さんは宮崎県の出身で親子劇場の仲間であった。保母さんになると思っていたが、農家の嫁を立派にこなし、子どもたちも皆明るく素直な子に育っていた。なかなか休みのとれない中、二人の頑張りと元気は、夫婦の絆の強さと、幸せを感じさせてくれた。少し睡眠不足なので、今日は早く寝ることにする。
後楽園
日本一のマスカット

7月24日(火) 5日目
岡山でお世話になった、大内さんと別れ、山陰高速インターチェンジの近くでプラカードを持ちヒッチハイクを始めたがなかなか止まってくれない。500回ぐらい頭を下げたであろうか、普段人に頭を下げることの少ない役場職員であるが、初心にもどされた感じである。今後は、公務員も厳しい時代がくると思われるので、必死に職務をこなさないといけないと思った。やっと2時間後にトラックが止まってくれた。その後2時間で大阪に着く。とにかく大阪は暑い。大学の先輩との待ち合わせまで時聞があるので洗濯をすることにする。コインランドリーを探す為に、昼食をとりながらカレー屋に入った。私の今回の旅、40代の思い出を話すと、カレー屋のおじさんも商売を始めてから40年という。これも何かの縁だろうと言い、カレー代金は、いらないといわれた。その後、洗濯をし、大学時代の空手部先輩宗重先輩とあう。
歩きで日本一周の経験をもっ篠山さん
大阪でも江戸っ子というのかわからないけど、そういう気質の中條さん。
大阪→東京

今回
- とても元気のいい兄さん
- スポーツマンタイプの人
- 真面目なおちつきのある人
- 二日間お世話になった人

空宇部の宗重先輩
20年前
- 旅行に詳しいお兄さん
- 熊本のお兄さん
- 怖そうなおじさん
- 面白いひげのおじさん
- 若い2人のお兄さん
- 親切なおじさん
- 石油会社のお兄さん
- やさしいおじさん
- 若くて怖そうなお兄さん
- 熊本出身のマイクロパスの運転手
- ランチをおごってもらったお兄さん
- ミラージュのお兄さん
- バスガイドみたいなトラックの運ちゃん
- 緑色の車の人
- かっこいい車、北海道からの帰り?
- 自衛隊のえらい人と市議会議員
- 通勤途中のお兄さん
- 青森県出身のおじさん

雨の中、トラックの中で寝させてくれた重藤さん


南九州大学空手部「鬼の宗重」といわれた先輩に逢う。宗重先輩流歓迎であるが、さっそくサウナに連れられ、ゆっくり汗を流すよう言われた。男同士、裸の付き合いであるが、引き締まった体にはびっくりした。
その後、大阪一最高級のふぐ料理を頂いた。食事をしながら空手道の話に盛り上がった。大学時代の道場訓は「誠実」「不屈」「謙虚」であったが、先輩はその道場訓を自分自身の人生訓のように生きているように感じた。今の先輩からは、鬼の宗重というイメージはなくなり、一段と大きく見えた。先輩の言葉で心に残ったのは「自分をごまかすな。じぶんにうそをつくな。常に自分に厳しく、そして、いつも上には上がいることを忘れてはならない」と言うことであった。

7月25日(水) 6日目
さあ本格的なヒッチハイクの始まりです。さすが大阪なかなかっかまらない。やっと午後2時30分に1台目。40キロのサックを担いで何時間も歩くのは苦しい。気温も37.8度はあると思う。ほんと苦しくなっていたがやっと1台をゲット。この1台のお陰で元気がでる。その後次々と乗せてもらいこの日は5台。最後1台は名古屋から栃木県までであったが、着いたのは、午前2時。トラックの運転手はハードで大変な仕事である。雨も降り出しそのトラックで寝させてもらう。トラックの運転手重藤さんの言葉で心に残ったのは人間は上に行けば行くほど2倍も3倍も仕事をしないといけないという事であった。
東京→岩手県種市町

今回
- やさしそうなおじさん
- 超スピードの2人
- 仲のよい夫婦
- 本日誕生日のやさしいおじさん
- 仲のよいベストカップル
- 素直なキャンパー一家
20年前
- トラックの運ちゃん
- 猛スピードおじさん
- 医療関係のおじさん
- 若い人
- 酪農をやっている人
- 東北なまりのトラック運ちゃん
- 青森弁の若いお兄さん
- ゴルフの車のおじさん
- ねぶた踊りで世話してくれるというおじさん

とてもお世話になった高崎さん

7月26日(木) 7日目
朝8時出発し種市町に着いたのは、午後8時。乗車台数6台、高速道路サービスエリアということもあり一台あたり30~40分で、ヒッチハイク成功。昨日の睡眠不足もあり、かなり疲れたが、種市町に着くと教育長をはじめ課長、係長が居酒屋で待っていてくれた。そのあとは宴会となり楽しい時間を過ごすことができた。生のサンマ、マグロとろ、あわび、ここの刺身はほんとに最高。
7月28日(金) 8日目
昨日は、種市町の公民館でぐっすり寝させてもらった。その後銭湯に行き、3日分の汚れをおとした。
なんと2時間も風呂に入っていた。その後種市町の教育委員会の高崎さん等と金武区子供会のスキー交流会の件で打ち合わせ。午後には宿泊施設等を見学させてもらった。午後3時30分には町長表敬。4時からは金武町交流事業結団式に参加する。
その後青森県のフェリー乗り場へ行き、北海道苫小牧行きフェリーに乗る。
互の北海道、とても人気があるのでフェリーは超満員。廊下に寝ている人もいる。いよいよ明日は北海道だ。
福士さんカップル
佐藤さん
鈴木さん夫婦
赤尾さん
菅原さんファミリー
吉田さん
北海道(行き)

今回
- 夜行列車

20年前
- 紳士
- 若い人
- ジンギスカンをご馳走になった人
- トラックの運ちゃん
- ペンキ屋のおじさん
- ファミリー
- トラックの運ちゃん

20年前と同じクラーク博士像前

7月28日(土) 9日目
いよいよ北海道である。今日はゆっくりのんびりと北海道を満喫した。北海道大学は、とてもすばらしい。クラlク博士、ポプラ並木と前回写真をとった前で初年ぶり記念撮影。
その後妻ひとみと逢う。利尻山に一緒に登ろうと思い、沖縄から呼んだが、北海道、例年になく寒いので断念。
そう言えば、昨日の種市町の気温が昼間団度夕方は沖縄の冬を恩わせたぐらいだった。山登りは一人で行くことにし、花の素敵な富良野を観光した。新婚旅行に行っていない我々の短い旅行である。
さすがにラベンダー等とてもきれいであった。北海道はほんとすごい。妻は3泊4日できたが、一日しか行動を一緒にできず何もしてあげられなかった。今度は家族全員で来たい。明日は早いうちに利尻に向け出発する。
7月29日(日) 10日目
利尻に渡ってきた。今度の旅の大きな目的でもある利尻島だ。利尻に着くとその足で利尻山に向かった。
夕方6時頂上を目指し出発。雨模様だが、天気予報によると明日は雨らしく今日のうちに8合目の山小屋を目指そうと思った。
小雨がぱらつく中3合目6時40分・4合目7時・5合目7時40分・6合目8時であったが、6合目を過ぎると雨が、強くなってきた。ひき返すかどうか迷ったがとにかく前進。7合目・8合目の看板もきずかないままそのまま進んだ。山小屋手前道に迷うが、生きた心地はしなかった。午後日時加分山小屋到着。仮眠をとる予定だが、とにかく寒い。8合目あたりはまだ雪も残っている。夜中の気温は印度前後だと思う。眠ったら死ぬかと患い体をさすっていた。ほとんど睡眠することなく午前4時頂上めざし出発、6時山頂に到着。
20年前と雰囲気が変わっていたポプラ並木

北海道(帰り)

今回
- 夜行列車

20年前
- 稚内にきて2年目の若い人
- 初めての女性ドライバー
- トラックの運ちゃん
- またまた女性ドライバー
- 2日間の付き合いのトラック運ちゃん
- 途中で降ろしてもらったトラック
- ペンキ屋さん
- ハンサムなお兄さん
- サラリーマン
- ヒッチハイク経験者
- ヤマハの舟を作っている人
- トラックの運ちゃん

中央にあるのが山小屋


7月30日(月) 11日目
午前10時頃、利尻山より下山。ゆっくりと温泉で疲れをとったあとはのんびりと過ごした。絵はがきを送ったり、電話したりで、旅の途中報告をした。その後は利尻の名物、うに井を食べに行く。ばふんうにのうに井は、なんと3500円。でもさすがにおいしかった。午後4時のフェリーにて稚内に向かう。
あいにくの雨で、ちょっと寒い。夕食のラーメンを食べに行ったら奥さんが与那国出身の人と逢う。いろいろな話をした。旅は心の洗濯だよなと言われた。その人は先に帰ったが、私には何も言わず私のラーメン代まで払ってくれていた。午後10時列車にて札幌を目指す。

7月31日(日) 12日目
朝6時に札幌に着きその足で小樽まで、お金がなくなったので銀行を探す。しかし開くのは8時45分それまで待ってお金をおろした。その後、北海道を脱出する。背森ルlトのほかに小樽・新潟のフェリーがあるので時間短縮の意味もありそのフェリーに乗る。新潟まで印時間長い船旅になった。
フェリーの中では、久しぶりに靴・帽子等の洗濯、今までの整理等をした。そこで日付の間違いに気付く。カメラの日付も間違っており帰ってからの務理が大変そう。だけど一生の思い出、有意義になるようにしたい。

山小屋で一緒だった廣富さん。利尻島からの帰りのフェリーにて
青森→福井

今回
- おしどり夫婦
- 元気いっぱいパキスタン人
- もの静かなおじさん

20年前
- ヒッチハイク者をよく乗せるという人
- 秋田の人
- 物静かなトラックの運ちゃん
- 中小企業をやっている人
- 大工さん
- ご年配の方
- 親切な人
- 子ども好きな人
- 能登半島出身の人
- かっこいい人
- 日体代剣道部3年生
- 大宮ナンバーの若い人
- 高級車クラウンの人


8月1日(水) 13日目
フェリーを降りるとすぐ車を探した。すると同じ部屋にいた夫婦がとまってくれた。オートバイで日本一周していると思ったそうだ。車の中で話をすると奥さんの両親は糸満出身で、熊本に疎開中に熊本で生まれたらしい。2台目はパキスタンの人。これがまた
明るい。150キロの猛スピードで鼻歌混じりにビンビン行く。生きた心地はしなかった。日本に来て8年目だが、日本人と結婚し子供も一人いるらしい。言葉もわからない日本に来て、仕事、結婚いろいろ大変だったらしい。人生明るく生きないとダメだよと言われた。3台目は、無口なおじさん。どんな話をしていいかわからなかった。その後金沢で降り、金沢城・兼六園等を見学した。その後は2回目の青春18切符を使い天橋立まで行った。夜に着き、今日は駅で寝る。
パキスタンの2人
多田さん
金沢城
20年前、金沢城
兼六園
20年前、兼六園
福井→山口

今回
- アフリカ帰りの人
20年前
- 2日間付き合い三輪さん
- トラックの運ちゃん
- 長時間乗せてくれた人
- 久留米の人

椋木さん


8月2日(木) 14日目
今日は朝4時30分起床。ヒッチハイクの旅のときはだいたいこの時間だ。天橋立の朝日をカメラにおさめ、早速場所移動。しかし鳥取行きはなかなかっかまらない。
2時間ぐらい頭をさげながらお願いする。そこへ福岡出身の人。彼は北海道からの帰りで2ヶ月間アルバイトをしながら旅を続けていると言う。その後彼と一緒。彼は海外背年協力隊でアフリカに行ったことのある人で話はとても面白い。夕方、彼に寝場所を見つけてくれた。彼もここに絞るという。明日も乗せてくれることになった。道の駅のベンチで休んでいると隣の人がサザエ・魚を持ってきた。彼ら夫婦もまた、旅人である。
見も知らずの人にご馳走してくれるなんて、感動した。その後道の駅に寝る。星空の下、波の音が聞こえ最高であるが、蚊が多い。しかし人間は不思議である。そのうち慣れてしまいぐっすり寝る。
8月3日(金) 15日目
長崎に行く予定を変更し、山陰地方をゆっくり見学。昨日から一緒の椋木さんに案内してもらう。匹見町では木工クラフト、午後には萩で吉田松陰の松下村塾や幕末の志士たちの資料館等も見た。
その後野宿するが、蚊が多くて眠れない。Tシャツの上からもさされ、体全体30~40ヶ所刺されたと思う。こういう経験もたまにはいいかと思うが、2度と味わいたくないものである。
松下村塾の前で
20年前、松下村塾の前で
山口→宮崎・鹿児島

今回
- ツーリング好きの人
- 仲のよい夫婦
- 会社社長
20年前
- トラックの運ちゃん
- コーポの人
- ちょっとだけ乗った人
- トラックの運ちゃん
- 中学時代ヒッチハイクをしていた人


8月4日(土) 16日目
午前5時30分起床、三日間一緒の椋木さんにほんとお世話になる。朝、食事をとると昔ながらの鍛冶屋を見学した。その後、福岡まで乗せてもらったが、三日間も一緒だと別れるのも淋しくなる。ほんとうにありがとうございました。
その後、鹿児島を目指し、ヒッチハイクを始める。一台目はツーリング好きの二人、二台目は仲の良い夫婦。奥さんから「今頃のヒッチハイクは、乗せる方も大丈夫かなと不安な部分、怖い部分もあるね。」と言われた。三台目は仕事途中の社長さんであった。九州自動車道を乗り継ぐと早いものである。
8月3日(金) 15日目
今日は、沖縄に帰る日である。朝、時聞があるので城山公園、西郷銅像、仙厳圏、尚古集成館などを見学する。今までのイメージを一新するほど鹿児島は良かった。街はきれいだし、人もやさしい。それに歴史を感じた。島津家が鹿児島に残したものは、今も大きなものがあると感じた。
昼過ぎ、空港へ行き沖縄行きの飛行機に乗る。那覇空港には家族が迎えに来てくれた。家族の顔を見てほっとした
庵原さん
田島さん夫妻
小西さん

仙厳園
あとがき
20年前
これで日本縦断7000kmの旅は終わることになるが、総日数40日問。
総台数85台。使用金額6~7万円。
ほんとうにたくさんの人たちにお世話になった。心から感謝しています。横浜では、車に乗せてもらっただけでなく、栄養でもつけろよとお金3000円頂いた。もちろん最初はお金を頂くことはできないと断り、お礼だけ言って車を降りたが、その人も車から降りてきてシャツのポケットにお金を入れて去っていった。北海道ではお世話になったのでお礼状を出しますので、住所を教えてくださいというとその人は「広い北海道明日会うかもしれないから」と住所を教えてくれなかった。
この旅で、自分はどう生きるかを教えられた気がする。そして金沢で乗せてもらった人の言葉が頭の中に残った。「あなたはなぜこの世に生かされているのか常に問い、あなたがこの世に生きた証をつくれるような人生をおくれ」と。
やっと7,000kmの旅終了
家に泊めてくれた三輪家族
今回
今回の日本縦断の旅は、仕事の休暇の関係もあって総日数17日間、高速道路利用で長距離が多く総台数23台、航空貨を含めた使用金額は20万円。
今回もたくさんの人たちにお世話になり、心から感謝しています。
日本もまだまだすてたものじゃないと言える旅になり、とても感動した。人々とのふれあい、やさしさ、いい人はいい人。時代が変われどこういう人たちが日本にはたくさんいることを再確認できた。
しかし、前回と比べ、余裕のない日本になっている気がした。日本国民、ストレスがたまっているかもしれない。こんな中、私を乗せてくれた人たちは、勇気のある人たちである。
40才という年齢もあると思うが、特に感じたのは家族の紳の大切さであった。妻、子どもの為に何ができるのかを考えさせるいい機会であった。
初年後には姿と二人キャンピングカーで思い出の地を訪ねてみたい。

祖母与那城春江の祝古希記念 平成元年10月25日